頑な牧師だった私を変えたひと言

2022年04月28日 08:18

「でもね、その人は38年間も病気で苦しんでいたのですから、愚痴の一つや二つは言いたくなりますよね」

ある日曜日の教会の礼拝会の説教で、私は聖書の中に出て来る38年もの間病気だった人の箇所から、皆さんにお話をした。
イエス・キリストは、その人を見て、「良くなりたいか」と聞かれたのだが、彼はそれには答えず、その38年間、どれだけ苦しかったのか、どれだけ周りの人間が自分に対して冷たかったのかを愚痴り始めたのだ。

私は、そこから、「イエス・キリストが良くなりたいかと聞かれたのだから、彼は、『はい、良くなりたいです』とだけ答えれば良かったのです。それが信仰者のあるべき姿です。愚痴ってはいけません」とお話をしたのだ。

すると、その礼拝会の後、教会に来始めておられたYさんが私のもとにやって来て、こう言われた。
「今日もいいお話をありがとうございました。でもね、その人は38年間も病気で苦しんでいたのですから、愚痴の一つや二つは言いたくなりますよね」

その一言は、これまでの私の人生の中で、人から言われた言葉の中で、最も心震えた言葉だったかもしれない。私はそれを聞いて、すぐにこう思ったのだ。

『ああ、本当にその通りだ。その人は身体の苦しみだけでなく、心の中も痛みで満ちていたに違いない。そりゃあ、愚痴っても当たり前のことだ。自分は牧師として、今までいったい何を語って来たのだろう。実際の人の心の中の痛み、苦しみを考えることなく、聖書の言葉を字図通り、偉そうに語っていただけではなかったのか…』


聖書を読むと、その後イエス・キリストは、その人を癒してくださったと書いてある。イエス・キリストは、しっかりとその人の愚痴を聞いてあげた上で、癒されたのではないのか。ちゃんと話を聞いてもらい、その人も心を開いたのではないのか。
その日から、私の牧師としても新しい歩みが始まった気がしている。

(私著「ろくまる」の冒頭に収めたお話)

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