もう30年ほど前のことだ。
当時神学生だった私は、山奥に伝道に出かけた。
するとそこに小さな教会があったのだが、外から見て、あまり手入れや清掃も行き届いていないような教会だった。
高慢盛りの神学生だった私は、『ここの牧師はちゃんとやっているのか』などと不遜なことを思ったものだ。若気とはいえ、今考えると本当に恥ずかしい限りだ。
自分が思わず偉そうに高ぶってしまいそうになったら、自分の若い頃の失敗を思い出すのは、良い方法だ。すぐに腰を低くできる。
しかし、そのような山奥で、たとえ集まって来る方が数人であったとしても、教会で礼拝が捧げられ続けていることが、神の目にはどんなに尊いことなのかを、今の私には理解できる。
私著「ろくまる」より